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螳螂拳創始伝説その三

 螳螂拳の創始人、王朗という者、山東即墨王龍堡の人なり。その父、名は王滿堂、家資は滿貫、良田は千頃(十万畝)たり。その人となり、性情は人に厚く、誠実たり。ただその一生に僅かに一子のみを授かる。すなわちその子が、王朗なり。王氏、生まれながらにして聡慧なり。

 その父、子を愛する心、切なり、儒の者、教師などを家に招き、詩書を習わす外に、礼を以って名師を招き、武藝をも学ばす。しかしいまだ幾時もたたぬときに、清兵この堡に来たりて駐屯す。滿清、軍田制度を採用し、王家の地、ことごとく没収せんとす。

 わずかにこれに抗せんとするが、王家の者、のこさず全家、清兵に殺されるなり。王朗もまた、傷を受け、河の中に蹴り落とされる。河に流され行くところ、少林寺遊方和尚、痛襌上人という者に救わるる。王は家郷に在るにすでに数師の傳授を経て、また少林寺等に赴き深造することもあり。

 王氏を救い出したるは少林寺の住持なり、ゆえに王氏を寺に連れ帰る。教える者は認真たり、学ぶものは努力を惜しまず、王は、六七年の間に少林の絶技をことごとく得たり。しかしすなわち大師兄の手のもとには常に敗れたり。王は山中に練拳の後、正に愁い悶々とするそのとき、蝉の騒ぐ聲を聞く。

 見上げるにすなわち一螳螂、その雙爪を舞わせて蝉を捕らえるあり。これに王朗、悟るところあり、螳螂を捕らえて寺中に帰り、毎日草を以って逗し弄ぶ。螳螂を見るに、雙目を怒り見開き、雙爪を舞い振るうに度がある、細心の観察を以ってこれを研究揣摩す。

 これに得たる爪法を学びし十八家宗法の内に融入す。また機縁ありて、猿猴の歩みの快捷を見、これも一つに併せて吸収融化する。練習、数年ありて、再び大師兄と角す。大師兄、ただ王朗の敵することをあたわざるに非ず、且つ手を一つ交えるにすなわち投げ倒されるなり。

 その大師兄、王朗の背師叛道を疑う、住持に報告し、寺僧みなこれに争論す。王朗、住持の盤問の下、はじめて詳らかに螳螂に向かいて勾?採掛等の手法を研習し、猿猴の靈活な歩法をあわせて拳に致すことを云う。住持は深く喜び、また寺僧たちの嘉許をも得、王に編み出したる技を携え各地を旅し、名家を訪ね切磋することを許す。

 王は寺を出でた後、豫、皖、冀、魯等の省を遍く訪ね、その武を以って多くの友に会う、どこにおいても王朗に敵しあたう者なし。王朗、最後に[山勞]山に足を落とすと聞く、しかしいまだその終わるところを知らず。

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