螳螂拳創始伝説その二
明末、魯の人、王朗、少林寺に於いて武を学ぶ。藝成りて遊に出づるに、單通という者に遇う。單通、その身は天生の通臂たり、その臂は左右相通ずるにあたう。二人技を較べるに三日三晩あり、されども王の技、單通の身に及ばざる。
王朗かえりて、樹の下に憩いて、破解の法に苦思する。縁樹の下にて、一螳螂を見る、すなわち草の茎にて之と戯る。その動作を観ずるに、閃轉靈活、二足は時に左を前に右を後ろに、時に右を前に左を後ろに、一勾一打これに似る、その轉變に度あり。
これに王は短を以って長に敵する法を即座に悟る。すなわち朝夕にこれを観察し模倣する。またある日、樹の下において練習するに、一猿猴にあう。猿、王の衣を取りて去る、王これを追う。王の手まさに猿の身に及ばんが瞬間、猿すなわち閃身し脱する。
この如きこと再びありて、猿、衣を棄て去る。王、自思す、己の歩法遅きにあらざる、何ゆえ猿に及ばざるや。すなわち王、猿の足跡を見、變換角度を観察し、之に習い模倣する。後に螳螂の手法と猿猴の歩法を並べ、自らの拳に揉合する。いわゆる螳螂門の特点たる、螳螂手、猿猴歩なり。功成りて、再び單通を尋ね、技を較べる。数度手を交えるに、單通、均しく王の手に敗れる。これより螳螂門、武林に名を轟かす。
Posted: 7月 6th, 2001 under 螳螂拳の研究.