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莱陽三合功一代宗師李丹伯先生の記念碑発見2

 イリアさんが発見した記念碑は、2017年1月3日のネットニュースでは、「地功拳、螳螂拳一代の宗匠、李丹伯民国記念碑が発見」として話題になったようである。

 以下ネットニュースの記事を日本語に意訳して紹介する。

 「地功拳、螳螂拳一代宗匠、李丹伯民国記念碑が発見」

 山東省莱西市店埠鎮中由格庄村で李丹伯老師の記念碑が発見された。地元の人によると、李丹伯老師の記念碑はもともと店埠鎮中由格庄村東入口路の東側に建てられていたが、1990年代、計画上の必要により、村委員会が大院の境内に移し保管していた(*実際には、文革後道の石畳として使用されていたようです)。

 碑は白い花崗岩で、上部には丸みのある四角い碑で、碑大きさは高さ1.75m、幅0.67m、厚さ0.15mである。

 碑の正面の真ん中には「李丹伯先生記念碑」と言う文字が縦に刻まれ、左側に弟子36人(*王玉山師爺の名あり)、孫弟子14人(崔寿山先生の名前あり)の氏名が刻まれ、右側には碑を建てた親戚や友人の氏名が刻まれている。碑の裏側の碑文には、李丹伯老師の生涯の事績が記されている。

 李銘閣(1858-1911年)は本名を李仲翔、字を丹伯と言い、張炳斗先生の曾祖父である。李老師の体格は立派で腕力は並外れて強く、人柄は朴直で、義侠心に富み勇敢に行動する人であった。幼い頃から高殿基を拝して師として武術を習い、人並外れた能力を持っていると言われ、羅漢拳、地功拳に精通していた。

 彼は頭、手、足の功夫がとても優れていて、指は鉄のように堅く、その蹴りは飛ぶハエを粉々にすることができた。銘閣は拳法に精通しているだけでなく、知らない兵器はなく、槍の腕前はとりわけ優れており、自らその槍法は趙子龍の衣鉢を受けていると言い、当時の人も「趙常山」と呼んでいた。丹伯の名は天下に鳴り響いた。

 李銘閣、姜化龍、宋子徳の三人は義兄弟となり、その信頼は海のように深く、お互いに拳を交えて交流した。以後、李丹伯は羅漢拳、地功拳、螳螂拳を一つにして「三合功」と名づけた。姜化龍は羅漢拳などのエッセンスを螳螂拳に融合させてさらに進歩させた。化龍はさらに丹伯の拳法と螳螂拳のそれぞれのエッセンスとなる技を抜粋して変化させ、十二の単招式をアレンジして「奇要」(要中要ともいう)と命名した。螳螂拳の「奇要」と言われるのはこれを指すのだ。姜化龍はこの「奇要」を簡単に人に伝えず、愛弟子の李昆山一人しか伝えなかった。

 光緒27年、(清朝は)武科を廃止した。突然の武官への道が閉ざされた現実は、武学で高位公爵を取ろうとした李丹伯の遠大な野心と望みを打ち砕き、武挙で得られる官職の望みを取り戻すことができないまま、李丹伯は武館を設けて弟子を採って自らの楽しみとした。(莱西文史資料を抜粋、著者:張炳斗)。

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