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螳螂拳創始伝説その一

 朱明の末葉、山東人の王朗という者あり。国の乱れを目にし、時に献身報国を思えども、やるかたなく、河南嵩山少林に身を投じ、藝を習わんとする。清兵が關に入り、王もまた単身、難に赴くが、内奸売国の者に阻まれ、用を得ざる。国が滅ぶを見、またふたたび少林に返る。

 僧侶を組織し、国を復するを図るも、清朝の偵察に知られ、寺を囲み焼かれる。同門の者と關を抜け、峨嵋に逃げ、崑崙に走り、遍歴は数省にわたる。魯の国の勞山に到りて、遂には居を定め、ここに寺を開き、その師兄を主持とする。(王朗という者、)己の身はすでに僧になれりといえども、いまだ習武を忘れず、ただその師兄に向かいては毎度敗れる。

 その師兄の雲遊の機に、正に練武に努力に在る際、蝉と一螳螂の死門を争うを見る、幾時も立たぬうちに蝉は死す。王は、螳螂の進退に度があり、長短を並び施す様、擒重が法を得る様を見、大いに喜び、拳技の功夫に役立てんとする。すなわち之を捕らえて返り、朝夕、草を以って之を試す。

 これより螳螂手法を悟る、すなわち十二種手法、勾、摟、採、掛、刁、進、崩、打、沾、黏、貼、靠がある。再び当時の十七家の宗法精華を貫き、猿猴歩法をあわせて採り、一陣となし、練習に勤める。三年の後、その師兄かえりて、再び師兄と闘う、その師兄毎度、王により倒される。師兄驚きて問い、はじめて王の螳螂に習うを知る。

 此れより師兄弟二人、研練をさらに勤め加え、その拳を素晴らしく妙なる境へと導く。その後十年を出ずして、師兄弟二人、前後して逝去する。この寺の僧侶はこの拳を重視し、軽く人に示さず。後に升霄道人という者、寺に雲遊に至りて、この拳を酷愛し嗜む、僧より衣鉢を承り得て、始めて螳螂拳法は外に伝わる。

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