螳螂拳の「七長八短」とは何か?
『螳螂拳の「七長八短」とは何か。』
解答者:孫德(崔壽山再伝弟子、山東省在住)(「中華武術」1988年11月号総第58期、輔導答疑より)
「七長、八短」は螳螂拳の招式中において長短の総目をなしています。これを正確に理解し運用すれば、学んだ技を使う時に長の中に短を含み、短の中に長をかくすことができる様になるのです。
「七長」
一、順歩倩手
逸を以って相手の労を待つ法です。敵が手を出し我を撃つ時、我はその相手の勢を借りこれを撃つのです。すなわち敵が自ら出した手をそのまま我の手としてしまうということです。故に「倩」(他人に我と代わってもらって何かをしてもらうという意味)の字をいうのです。
二、揺歩入手
敵の手がきたら、我は身を閃漏させ、前腿を外に擺(ひら)き、後腿を路に中(あた)らせ、前手で護り封じ、後手を前に出し、身をねじり敵を撃つのです。
三、纏封双掌
敵が上路もしくは中路を打って来たら、我は両手を相手の手に合わせ纏(まと)いつかせ、つづけて双掌を真っ直ぐ突き出すのです。
四、迎面通捶
敵に臨み、自ら出る、もしくは倩をして、両捶を真っ直ぐに通じさせ、前後は相接し、一時にあわせて到るのです。
五、剿手斫掌
手臂は牛鞭の旋転に似て、棍を行き纏に走る、起手は剿に似て、落手は[石欠]と為す、 反と正は交互になり、中と外で一斉に挙する。
六、翻身直入
これを回馬拳といいます。敵に対し、我は負けているかの様な勢をとり逃げようとし、そしてまた転身し回って取るのです。
七、韓通通背
伝わるところによると韓通という人物は北宋の大将であり、彼が強大な力を発するとき、両肘の骨がまるで一本のもののように肩をつらぬき用いられているよう であったという、後の人はこれに学び、前を伸ばせば後ろは屈し、側身にし真直ぐ衝(つ)く、という理を発見し、そしてそれを通背といったのです。
「八短」
一、迎面頭捶
頭捶は側方に用いるのが最もよく、もし何人もの人間に囲まれてしまったら、相手を掴み引いたり([手へんに秋])、捉えたり(采)、相手に貼り付き(貼)、もたれかかるように(靠)して用います。また真直ぐの方向に用いても勿論よいです。
二、靠身臀捶
臀捶もまた側方に用いるのがよいでしょう。おおよそこれは多くの場合において身を近づけてから、もたれるように打ちます。これがすなわち門に貼り付き壁にもたれるという法なのです。
三、蹲身臂捶
低い身形で膊(上肢の肩に近い部分もしくは腕全体)を以って敵を取る、この類の手法にはすべて粘拿が内にあります。
四、粘拿胸捶
これを使う時は肩を提し胸をはる(挺)、相手に身を近づけていなければ効を奏し難いでしょう。
五、六、七、八、双肘双膝
両膝と両肘を合わせて四短と為します。肘を用いるのは遠近ともに使いよいですが、膝を起こすのはすなわち身をもたれさせるようにすれば用いることができる でしょう。こういったことから、拳諺には「靠身は長を助け短に変ず」という説がある のです。
<私見>
七長八短はなぜ、この七つと八つのそれぞれに分けられたのか。長短というものに対する螳螂門の感性、実際の動作にどのように長短と感じているのか。それを 解く手がかりになるのかもしれません。また内容で言えば七長の四、五の中に疑問が残りました。
まず四、迎面通捶。この通捶が自分による連打をさしているのか、それともクロスカウンターをさしているのか、判別しきれませんでした。文面では両方の意味で取れますが、クロスカウンターの意味のほうが拳理としても深そうですね。
それから五、剿手斫掌(伝承によっては[石欠]掌)。牛鞭というものの具体的姿が浮かびませんでした。牛鞭は牛の身体の一部(尾でしょうか)をさしているのか、それとも牛追いの鞭を指すのか、これも判別できませんでした。
行棍走纏という言葉も、棍のように行き纏わりつく、と訳しても、やはり両方とも意味が通りそうです。個人的には尾よりも牛追い鞭を考えています。すなわちよく撓(しな)る棒ではないか、と。これなら螳螂拳の手臂のイメージに合いそうです。
そ れから剿という言葉も気になります。新華字典では剿は討伐の意となっていました。文中では剿と[石欠]を対照させているわけですので、 意味にも何らかの対照性があるはずなのですが、果たして何なのか。まさか討伐と処刑([石欠] 頭)の二つでしょうか。これはまだ謎です。