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螳螂拳源流考(5)

螳螂拳源流考其の四 (于景元、梁恵憂)

第三の流れは赫連玉の子赫恒路が伝えたものであり、彼は山東省煙台の人であった。 家伝の螳螂拳を受け継ぎ、螳螂拳を細部にわたって修めた人である。ハルピンに来た時には大きな車輪加工場を経営しており、その拳を多くの人に伝えた。現在のハルピン一帯に伝わる「太極梅花螳螂拳」はほとんど赫家の伝承である

赫恒路は後に北京へ出て、その拳を教授した。槍の技術に習熟していたためその名声は高く、「神槍赫」と呼ばれた。後に煙台に立ち寄った時に赫斌老師に拳芸を授け、赫老師は煙台と南方に大きな影響を与えた。

これが第三の螳螂拳の流れである。

以上述べたように、黄永凱、宋子徳、顔学信、袁子、赫恒路は螳螂拳の第五代の伝人である。

林世欽、于世遠、紀忠徳、紀春亭、崔寿山、李坤山、王玉山、金立徳、赫斌は螳螂拳の第六代の伝人である。

第七代の伝人についてここで簡単に紹介する。

崔寿山の弟子の曲伸は長春市の人である。何度も長春において螳螂拳の螳螂拳の教授を行い、その徳と技は共に高く、1984年で60歳になる。

林世欽の弟子の李英奇は山東省煙台の人である。「武林」雑誌にその文章などを発表し、螳螂拳と「十八羅漢拳」への見識は大変深い。1984年で52歳になる。

李坤山の弟子の張炳斗は山東省青島の人である。文武共にその才能はずば抜けており、「王朗伝奇」を著わし、またテレビの連続ドラマ「武松」の殺陣を考え出した。また85年から全国を対象に「太極梅花螳螂拳」の通信教育を開講した。こうした発展推進の試みは大きな貢献である。

于世遠の弟子の于景元は四平市の人である。師について十数年、螳螂拳と十八羅漢拳を苦行し省と全国武術交流大会に参加した。于景元老師は多くの弟子の中でも代表的な人物であり、今年46歳である。

金立徳の弟子の金衛東は遼寧省丹東市の人である。家伝を受け継ぎ83年には遼寧省武術表演会に参加した。(営口市にて開催)彼の演じた「太極梅花螳螂摘要」は優秀賞を獲得した。

以上が北派螳螂拳の系譜であり、梅花螳螂流派の主立った源流と伝承である。但し、螳螂拳は長年にわたる錬拳と伝承、及び多くの弟子によって受け継がれたた めに、知られていない事柄も多岐にわたる。もし上述の事柄に不備が有れば、各方面の状況にしたがって補完を託し、螳螂門の発展を願う。王朗祖師から数えると、梅花螳螂拳は既に第八代となるのだ

以上が「螳螂拳源流考」の大意である。 私は個人的に資料として以下を追記したい思う。

第六代、王玉山の教授した学生青島、莱陽を中心に数多くいたが、その真伝は、四人いた息子の中で、武の才能を見出した次男の王元亮と四男の王元乾に受け継がれた。特に王元亮は非凡な才能と苦練の末、父の拳芸の全てを受け継いだ。

1926年に山東省莱陽県崔③で生まれた。王玉山の晩年には、父に代わって莱陽、青島、蓬莱などで拳芸を同様に教授した。日本人にも初めて王家螳螂拳の門戸を開き、その技術を真摯に伝えて下さる。現代の螳螂拳の国際的な発展に大きく貢献活躍されているのである。 王元亮師父は第七代の伝人である

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