七星螳螂拳の姿
七星螳螂拳については以前からモヤモヤしているところがあった。何故かと 言うと、香港や台湾など中国大陸以外では有名なのに、大陸、特に山東省では太極(太極梅花)螳螂拳が主流であり、七星螳螂拳はその名前すらあまり聞かれな い。当時から自分は王玉山系の太極螳螂拳を追っていたので、他派はあまり目に入らなかったのかもしれないが。
1990年初め、煙台の螳螂拳検討会で林景山系の七星螳螂拳伝人、于天程老師(故人)と交流させて頂き、その実態を初めて見ることが出来た。
しかしその後も、李占元老師著の「七星螳螂拳」などの資料は入手できるものの、日本国内の認識とは相変わらず温度差が大きすぎた。15年来のモヤモヤをよ うやく解決してくれる資料が入手できた。若き研究者で、私の門人の片桐さんが紹介してくれたインターネットサイトと遼寧省体育運動史から資料だ。
以下紹介するのは「中国文化人才襠案」というサイトから2006年5月26日に遅学元老師によって発表された「七星螳螂拳創始、師承及嫡伝」の抜粋であり、意訳を試みた。訳は未熟な上、大意の抜粋であることを了解頂き参考として頂きたい。伝承表は私が同発表内容を表にまとめてみたものである。
螳螂拳は中国の古武術のなかでも伝承が明確な流派だ。即ち1800年代の半ば梁学香老師が伝承を広げた拳法が、現代大きく発展した螳螂拳なのである。おり しも遅老師が論文を発表されるほぼ一ヶ月前、私を含む仲間6人は、その梁学香大師の故郷を訪れていた。
その海陽に伝わる螳螂拳も失伝の危機にあるが、梁老師の拳は間違いなく弟子達によって大きく発展している。七星もその発展の一形態として更に学びたいという気持ちが大きくなった。
根本一己
「王永春は字名を雲生と言い、当時の登州府(現在の煙台市)福山県に生まれた。
幼い頃より武術に親しみ、煙台①頂華山派の李義春道長より華山派の拳法を学び、後に地②拳や少林拳を学んだ。内家、外家に精通し、光緒14年(1888年)より3年間に渡って「快手李」とあだ名された李之剪に螳螂拳を学びその真伝を得た。また赫順昌より同時に学んだ。
李之剪が友人を訪ねて東北に旅立った後、王雲生は赫先生と套路の交換稽古を行い、数年後に内外の拳法を総合して七星鈎、七星歩、七星錘の拳理を悟り、家の屋号「魁徳堂」より七星螳螂拳と命名した(注釈:北斗七星の首星が”魁星”と呼ばれていたため)。
この拳法は「猿形猴身寒鶏歩、猫③狗閃細胸巧、兔滾鷹翻松鼠霊 龍騰虎跳螳螂手」と表される。
またこの拳法には?、打④、拿、点の区別があり、?は八扣六絶腿と三十六暗腿、④は三④六跌を含む三十六④掠、108字打法、十八大擒拿と三十六滑溜と三 十六黏凍の七十二拿法に加え、小纏絲にはこの他に八式あるが、拳譜には七把のみ記載されていて、残る一把は伝承人のみに伝えられる。点穴法は十二大穴と二 十四小穴への点発、蘇穴、麻穴がある。
24字総法:前、中、後各八字があって、「拘⑤採掛採展幇貼靠 」の八字の前後にそれぞれ八字の総法があり伝人に伝わっている。
八勢:登山、騎馬、玉環、?⑥、⑦鶏、寒鶏、迭歩、八⑨
站⑩功:混元⑩、騎馬⑩、行歩功、寸勁功、太乙功、三回九転排気功、十八羅漢功などがあって、騎馬⑩には百字の口訣が在る。
王雲生は五十歳の時に七星螳螂拳の50套路を完成させた。その套路を詠んだ歌は次の通り:「返車⑪轆古二存、拙剛柔霊十八収、⑫捕乱接?八肘、④掠捕蝉連五手、偸桃出洞献書⑬、入洞献桃指路愁、赤手穿掌八快手、按掌⑭枝桃花散、析拳挿花摘魁首、摘要総批螳螂手」
戚と程の法を合わせて六合槍、小六合槍、白雲追風双手剣、七星双把刀(天⑮刀)を作り出した。
燕青刀と六合棍法を張銀匠と交換稽古により学んだ。
特に白猿系列には、偸桃・出洞・献書・入洞・献桃・⑭枝の六套に仙人指路を加えた七套を七星螳螂拳の看板技とした。
七星螳螂拳は王雲生が創出した拳法であるが、三人の孫弟子により上海精武会で教学完成された。
楊維新と羅光玉は范旭東の弟子であり、王伝義については雲生自らが教伝を行った。三人は切磋琢磨して豊富な経験を元に、自分たちの見識を整理したが、楊と羅は文盲だったため王伝義が執筆した。
特に三人は⑫捕拳を改めた(⑫捕は方言から崩歩として伝わった)。この拳は元々秘肘と呼ばれていたものを、後に七星錘と改められて伝わったものだが、更に 七星螳螂拳の風格を加味し、穿弓腿の地②功を除いて偸歩撩陰と改めた拳が、世界的に練習されている⑫捕拳なのだ。その他にも摘要三十六②はあまりにも長く 体力のない者には不可能だったため、六路摘要拳に改められた。
⑫捕拳は当時上海商務院書館から出版された(失火により完全版は発行されず)が、その中で孫中山(孫文)が「強種強国」の言葉を贈っている。」
「1986年遼寧体育文史資料」よりの追加情報として
1961年以後生活環境が整い、王伝義と弟子の遅学元は拳譜を整理し、「七星螳螂拳備要」を春・夏・秋・冬の4冊に分け完成させた。