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2003年合宿レポート

  2003年11月1日。ダライ・ラマが数年ぶりにはるばる来日したこの日、「どんな芸術もどんな哲学ももたらすことの出来ない光を人に与えることの出来る」宗教という偉大な概念なんぞはそっちのけの別の集団が、もうすっかり定番と化している秩父山の山麓にこぞって集結していた。
  「紅葉くらい見れるかと思ってたけど。まだだねー」
  「あったかいですよねえ、こっちは。北海道なんかもう寒いのに。気温一桁ですよ、一桁!」
  「えー、嘘みたい。だって昨日まで10月だったのにー」
  「あ、そうそう。山田君、ちょっとその槍貸して」
  「お、いい槍じゃないですか」
至って呑気に会話は交わされているが、その端々に尋常ならざるものが顔を覗かせる。だって槍ですよ槍。核だのミサイルだのが幅を利かせているこのご時世に!
  そんな彼らの正体は勿論、毎年恒例の日本老蟷螂拳研究会の合同合宿参加メンバーの皆さんである。今年も小人数だが、全国から選りすぐりの精鋭たちが集まった。
  今回は初参加のメンバーの割合が高かったためか、根本先生も慎重にことを進め始める。各自目標を持ってその達成を目指すこと。せっかく仲間もいることですし、この時間をおおいに活用してくださいといういつものご挨拶のあと、まずは全員揃っての準備運動から入り、小八式など站椿をこなした後、単式練習へと入る。順歩、拗歩の突きから始まり、零集十式へ移行。基本を一通り皆さんで更にこなし、わずかばかりの休憩を挟んで、ようやくメインに突入。ビギナーさんたちは梅花手や崩歩拳を、ベテランの皆さんは摘要を。パターンとしては割とお決まりのコースではあるが、何だか皆さん、今回ばかりはいつもと姿勢の良さが違う。
  それもそのはず。今回初参加のメンバーの割合が高かったことは既に述べたが、この初参加メンバーの皆さんが、これまたどいつもこいつも一筋縄では行かない強者ぞろいなのである。いきおい、古参メンバーの皆さんも気合が入っちゃうわけなんですね。

 まずは大阪分会の三名、北井氏、奥本氏、そしてゲイリー氏。北井、奥本両氏は双方ともに他門派武術経験者であるためか、お二人とも恐ろしく動きが良く、思わず舌を巻いてしまうほど、何を教えても飲み込みが早い。理解もいい。そして何より、まだおぼつかない日本語を巧みに操りながら教えを請うゲイリー氏。その根性だけで脱帽ものである。思わぬ国際交流の機会にたじたじとしつつ、改めて腹を据えてしまう一同なのであった。
  対し、北海道からは女性が多く参戦した。うち初参加者は二名、長内嬢と五十嵐嬢である。二人とも札幌分会の誇る、見事な女性武術家である。やはり女性が多いと、男性の皆さんは計らずも気合が入ってしまう。良い傾向である。
  更に恐るべき事に、五十嵐嬢は若干13歳。如何にも無邪気そうなあどけない顔をして良い大人の皆さんを可愛く魅了し、すっかり骨を抜いて油断させきったところで鋭い蹴りが飛んでくる。隠そうとしても隠しきれないその痕跡。本人は意識していないあたりがこれまた末恐ろしい、いやいや将来が楽しみなお嬢さんだと、くっきりと濃い痣になった五十嵐嬢の蹴り跡を密かに気にしつつ、誰もが畏怖……じゃなかった、心躍らせていたことは言うまでもない。

玉環刀練習風景

  いやあ、しかし今回は大変でした。何と言っても困ったのは時間外玉環刀練習グループの皆さんである。これは非常に長い套路なのであるが、驚いたことに、初めて習ったはずのほぼ全員が、夕食から就寝までの短い時間の間に、市川分会・日野氏の指導のもと、マスターしきった……とはいくらなんでもさすがに言えないが、形だけはなんとか覚えてしまったことである。
  「非常識な時間で詰め込んでますから、多少のことは仕方がないですから、焦らないでください。来年もありますし、それ以外でも機会はあるかもしれないし」
  困り顔で最初はそう言っていた日野氏だが、最後になるとやけに呑気な口振りで、
  「あれーおかしいなあ、俺、最初は名古屋分会の鈴木さんにだけ教えるつもりでいたのに、何でこんな大勢に教えてたんだろう?まいっか、これで全分会に玉環刀行き渡ったしー」 とおっしゃっていたのが印象的であった。

 繰り広げられるそんな凄まじい光景の脇では、五十嵐嬢と市川分会の若手ホープ山田氏が、根本先生から直々に総合蟷螂拳の套路を伝授されている。根本先生直伝というだけあって二人とも必死の形相である。殊に、五十嵐嬢のように可愛く周囲を魅了できないという点で既に彼女に負けている山田氏にいたっては……と言いたいところだが、根本先生から直接新しいことを習ったのが嬉しかったのか、終始、彼は寒い中半袖半ズボンでにこやかに微笑み続け、こいつは一体何がそんなに嬉しいんだ!?と、見る人を驚愕の中に落とし込むのであった。
  そして更に体育館の片隅には、頑張り過ぎたあまり怪我をしてしまったため動けず、悔しそうに時間外稽古を見ている札幌分会・土合嬢の姿が。寒いんだから部屋であったまってTVでも見てればいいのにと思うが、見るだけでもいいからせめて同じ場所にいたかったのだろう。考えてみれば、時間外稽古なのだから必ずしも参加しなくていいのに、休んでいる者は一人もおらず、何と全員が体育館にいたのだ。

そんなこんなで、今年の合宿は異様に早く走り去ってしまったような気がする。短い時間をあますところなく使い切り、持ち帰れるだけのものを持ち帰ろうと躍起になっていた参加者たち。普段、仕事や学業でなかなか実現は難しい、練習にのみ専念するというこの僅かな三日間の間に、必死でかき集めた両手いっぱいの戦利品たちは、どんなに使っても決して消えてなくなることのない、むしろ飽くことなく使えば使うほど磨かれて行く。そうなればたとえダライ・ラマの教えにだって決して劣らない、かけがえのない素晴らしいものたちである。今回の参加メンバーの皆さん、是非うんと活かして、今回参加できなかった人たちのために、そして何より自分自身のために役立てて下さいね。

市川分会 飯塚

2002年合宿レポート

  今年もまたこの季節がやってきた。
  夏の汗臭さも一段落し、寒稽古と洒落込むにはやや早い、合宿には季節外れのこの時期に、螳螂拳士たちは毎年、こぞってどっかの山奥に集結する。今年は、既にメンバーのほぼ全員が宿の常連となっている奥秩父。「せっかく秩父まで来たんだから温泉いきたーい!」などと西武秩父駅前のバスロータリーで叫びつつ、「今年はどんな合宿になるかな?どんな練習しようかな?」と、心は既に山奥のぼろっちい体育館に飛んでいる不思議な人々、それが日本老螳螂拳研究会のメンバー達である。

 宿のご主人の運転するマイクロバスに迎えられ、一行は山奥の練習場に向う。山道をのんびり辿るバスはなかなか止まらない。人里離れた場所にある会場は、携帯の電波も届かないという関東地方にあるまじき恐ろしい場所である。ちなみに夜は外灯もない。音を上げたものがいても、決して逃げられないのである。それでも遠足に出かけるようにはしゃぎまくる会員の面々、一体何が彼らをそうさせるものやら。
  ようやく到着すると、長旅の疲れを取る間もなく一同、着替えて体育館へ。寒い中、もくもくと練習に備えてストレッチをする孤高の姿たち。中には半袖、半ズボンという信じられない姿の者もいる。この気合の入りよう、日頃の練習風景が目に見えるというものであろう。頃合いを見て、根本先生が立ち上がる。
「ではそろそろ体も温まったかと思いますので、練習に入りたいと思います。今回は自由練習もいいでしょう。それぞれ自分の目的があると思いますので、達成することを考えて三日間頑張りましょう」
  根本先生のご挨拶と共に、いよいよ練習が始まった。
  今回初級班を中心に名古屋分会の大野徹氏による指路拳、小翻車の指導が中心となった。また上級班は摘要拳、八肘拳を行った。
  大野氏は仕事の名目で念願の中国行きを実現、その上中国の王秀遠老師に拝師までしてしまった日本老螳螂拳研究会きっての強者の一人。二年前の10周年記念合宿では、彼の兄弟子に当たる青砥満氏がこの二つの套路の指導にあたったが、今回、大野氏の指導してくれらそれらは、青砥氏の伝えてくれたものとは多少、ところどころで異なる味を持っていた。
「ここの所、青砥さんはこのように教えてくれましたが、私が習ったものはちょっと違っています。青砥さんの時はこのような動き、こういう説明を頂きましたが、私の時はこのような動きでした。これの意味は……」
  形よりも意識に重点を置いた指導を展開する大野氏を、会員達は鋭い眼差しで見つめる。前回習ったものと混同する恐れがあるので、一瞬たりとも気は抜けない。一人で研究や練習をする範囲は限られているが、だからこそ、それぞれの研究の成果を発表しあい、伝え合う事が出来るのがこの合宿の最大のメリットであろう。

 あっという間に時間は過ぎ、食事の時間となった。練習時間は夕食までだが体育館は自由に使用できるため、食後も三々五々と会員が集まり、吐く息の白くなっていく中、空気の次第に鋭くなっていく中、それぞれの練習を行っていた。それぞれの目的を達成――根本先生の言葉が活きる。
「こんなに寒いんだから、もうそろそろ止しなさい。合宿が終わったらまた仕事に戻るんだし、風邪を引いたら困るだろう」
  すっかり冷えてしんと静まり返った夜更けに、先生がそう声を掛けるまで、有志たちの自由練習は続けられた。
  練習ばかりではない。毎年恒例の夜更けまで続く飲み会も、一年に一度しか逢えない全国各地の仲間たちとの貴重な懇親会である。冗談交じりにお互いの近況報告や仕事の愚痴などを交わしながら、こんな時にまで、武術談義に花が咲く。
「何故武術をやるのか、と言われたら……?」
「うーん、自分が強くなっていく事に充実や快感を覚えるからかな」
「それって結局は自己満足だよね。でも、ここまで徹底して自己満足を追求できるものって、他にあるかな?」
  この仲間たちといると、当たり前と言えば当たり前であるが、自然に話しは武術に飛んでしまう。それがまた、面白くて仕方がないのだからやはり妙な集団である。
  そんなふうにして今年もまた、過ぎていく時間を一瞬たりとも無駄にすまいとばかりに、身も心も練習三昧の三日間を、会員たちは送ったのであった。真剣な眼差しにもふとこぼれる笑顔にも、武術が好き、螳螂拳が好き、との純粋な思いが漲っていた。
  日本一素敵な螳螂拳馬鹿どもの集まり。私はこの会をこう呼びたい。

市川分会 飯塚

2001年合宿レポート

 海沿いの路を抜けると、そこに現れるのは急な山道である。無論アスファルトによる舗装などされていない。登っても登っても目的地にはなかなか到達せず、呼吸ばかりが荒くなる。足の筋肉は早くも張り始め、殆ど「ファイトぉ~いっぱあ~つ!」の世界。そんな豊かな自然で日常から断絶された世界が、今年度の合宿の舞台となった。
場所は伊豆・下田。季節はそろそろ冬の寒さが忍び寄ってくる11月下旬の3連休。しかし幸い、3日間とも温暖な好天に恵まれ、「皆さんの日頃の行いがよろしいんでしょうねえ」などという宿のオバチャンのお世辞だか皮肉だかよくわからない言葉を背に、参加者たちは一路体育館へ向かう。
そして突然現れたこの「ウォーミングアップにはちょうどいい」(宿のオバチャン・談)山道に面食らうという事態に遭遇したのである。某会員が「トトロに会えそう……」と形容したこの山道は、当然ながら三日間の間、我々参加者を練習以上に疲れさせてくれたのは紛れもない事実である。そして「この路を毎日辿っていればいい練習になるよね。俺、来年もここがいいと思うなあ」などとうそぶいていた奇特な会員が若干名いたことも忘れる事は出来ない。勘弁してくださいよ……。

 さて、今回の合宿のメインは「蟷螂拳対練」である。当会きっての精鋭である市川分会・青砥満、名古屋分会・大野徹両氏が、はるばる中国まで赴いて、作者である王秀遠先生から直々に伝授されてきたものであり、せっかく中国まで出向いて学んできたのだから他の会員たちにも伝えてもらいたいと言う、根本先生をはじめとする熱心な会員たちの強い要望によって、ここで晴れて指導されることが実現した。ということはつまり、日本初上陸であろう。それだけに会員たちの期待は高く、たった今済ませたばかり筈のウォーミングアップにも熱が入る。
  頃合いを見て、青砥・大野両氏が進み出る。
「対練ですので、皆さん二人組みを作り、どちらがどちらのパートをやるか決めてください。……よろしいですか?では見本を見せますので、取りあえずそれを真似て形を覚えてください。各技の用法や質問の受付などの細かい指導はその後にします」
起式を取る青砥・大野両氏。一斉に真似る参加者たち。どの瞳も真剣に、食い入るように二人を見詰めている。何度か見本を繰り返して真似た後、各ペアごとに自分たちで練習し、その間を青砥・大野両氏が回って、個人ごとに指導をして回る。形だけでもさっさと覚えてしまったものは、隣のペアと人を取り替えたり、お互いの役割を交代したり、或いは套路の中で気になる動きをピックアップして各自研究してみたりなど、指導者のふたりが回ってくるまでの間も自由研究に余念がない。回ってくるのを待ちきれずに遠くから質問の声をかける者もおり、終始大忙しの両氏であった。蟷螂拳をこよなく愛する会員たちにとって、煩瑣な日常を忘れて思う存分練習に没頭することの許される、一年にたった一度の貴重な三日間というこの時間。一瞬たりとも無駄にすまいという気迫が、見事に世間から隔離された陸の孤島のようなこの体育館に満ち満ちていた。

 そうかと思えば、練習終了後の夜は当然、宴会になる。一年ぶりに出会う仲間たちとの楽しい交流会だが、お互いの近況などを話しあっていたのが、気づけばいつのまにか武術談義に花が咲いている。つくづく、筋金入りの蟷螂拳士たちである。
一つのことに夢中になればなるほど、時間は速やかに過ぎ去ってしまう。合宿中の限られた時間は、今年も瞬く間に終わってしまった。しかしこの極めて短く感じられる特別な三日間のために、彼らは毎年それぞれの都合をつけて、全国各地からはるばる遠方へ足を伸ばすのだ。ひとえに蟷螂拳を愛するが故に。全国の同じ仲間たちの変わらぬ笑顔とその成長ぶりを目の当たりにしたいがために。そして研究熱心な仲間たちとの交流を通してみずからの蟷螂拳技術や知識、見解を少しでも高めるために。年に一度の合同合宿は、会員一人一人の蟷螂拳にかけるこの熱意によって成り立っているのである。

市川分会 飯塚