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螳螂拳創始伝説

螳螂拳は明代末に王朗と言う人物が創始したと言う伝説は螳螂拳をやる者にとっては、もはや常識?とも言えるでしょう。でも知らない方のために、第一段は「螳螂拳創始伝説」です。中国の資料では様々なパターンの王朗伝説があるようですが、(ストーリー)流れは同じようです。今回は翻訳者厳選の3つをご紹介します。

第二段「螳螂拳源流考」では、実在されると伝わる螳螂拳伝承の真実に近いと思われる文献をご紹介したいと思います。

<伝説その一>

朱明の末葉、山東人の王朗という者あり。国の乱れを目にし、時に献身報国を思えども、やるかたなく、河南嵩山少林に身を投じ、藝を習わんとする。清兵が關に入り、王もまた単身、難に赴くが、内奸売国の者に阻まれ、用を得ざる。国が滅ぶを見、またふたたび少林に返る。

僧 侶を組織し、国を復するを図るも、清朝の偵察に知られ、寺を囲み焼かれる。同門の者と關を抜け、峨嵋に逃げ、崑崙に走り、遍歴は数省にわたる。魯の国の勞 山に到りて、遂には居を定め、ここに寺を開き、その師兄を主持とする。(王朗という者、)己の身はすでに僧になれりといえども、いまだ習武を忘れず、ただ その師兄に向かいては毎度敗れる。

その師兄の雲遊の機に、 正に練武に努力に在る際、蝉と一螳螂の死門を争うを見る、幾時も立たぬうちに蝉は死す。王は、螳螂の進退に度があり、長短を並び施す様、擒重が法を得る様 を見、大いに喜び、拳技の功夫に役立てんとする。すなわち之を捕らえて返り、朝夕、草を以って之を試す。

こ れより螳螂手法を悟る、すなわち十二種手法、勾、摟、採、掛、刁、進、崩、打、沾、黏、貼、靠がある。再び当時の十七家の宗法精華を貫き、猿猴歩法をあわ せて採り、一陣となし、練習に勤める。三年の後、その師兄かえりて、再び師兄と闘う、その師兄毎度、王により倒される。師兄驚きて問い、はじめて王の螳螂 に習うを知る。

此れより師兄弟二人、研練をさらに勤め加 え、その拳を素晴らしく妙なる境へと導く。その後十年を出ずして、師兄弟二人、前後して逝去する。この寺の僧侶はこの拳を重視し、軽く人に示さず。後に升 霄道人という者、寺に雲遊に至りて、この拳を酷愛し嗜む、僧より衣鉢を承り得て、始めて螳螂拳法は外に伝わる。

<伝説その二>

明末、魯の人、王朗、少林寺に於いて武を学ぶ。藝成りて遊に出づるに、單通という者に遇う。單通、その身は天生の通臂たり、その臂は左右相通ずるにあたう。二人技を較べるに三日三晩あり、されども王の技、單通の身に及ばざる。

王朗かえりて、樹の下に憩いて、破解の法に苦思する。縁樹の下にて、一螳螂を見る、すなわち草の茎にて之と戯る。その動作を観ずるに、閃轉靈活、二足は時に左を前に右を後ろに、時に右を前に左を後ろに、一勾一打これに似る、その轉變に度あり。

これに王は短を以って長に敵する法を即座に悟る。すなわち朝夕にこれを観察し模倣する。またある日、樹の下において練習するに、一猿猴にあう。猿、王の衣を取りて去る、王これを追う。王の手まさに猿の身に及ばんが瞬間、猿すなわち閃身し脱する。

こ の如きこと再びありて、猿、衣を棄て去る。王、自思す、己の歩法遅きにあらざる、何ゆえ猿に及ばざるや。すなわち王、猿の足跡を見、變換角度を観察し、之 に習い模倣する。後に螳螂の手法と猿猴の歩法を並べ、自らの拳に揉合する。いわゆる螳螂門の特点たる、螳螂手、猿猴歩なり。功成りて、再び單通を尋ね、技 を較べる。数度手を交えるに、單通、均しく王の手に敗れる。これより螳螂門、武林に名を轟かす。

<伝説その三>

螳螂拳の創始人、王朗という者、山東即墨王龍堡の人なり。その父、名は王滿堂、家資は滿貫、良田は千頃(十万畝)たり。その人となり、性情は人に厚く、誠実たり。ただその一生に僅かに一子のみを授かる。すなわちその子が、王朗なり。王氏、生まれながらにして聡慧なり。

その父、子を愛する心、切なり、儒の者、教師などを家に招き、詩書を習わす外に、礼を以って名師を招き、武藝をも学ばす。しかしいまだ幾時もたたぬときに、清兵この堡に来たりて駐屯す。滿清、軍田制度を採用し、王家の地、ことごとく没収せんとす。

わ ずかにこれに抗せんとするが、王家の者、のこさず全家、清兵に殺されるなり。王朗もまた、傷を受け、河の中に蹴り落とされる。河に流され行くところ、少林 寺遊方和尚、痛襌上人という者に救わるる。王は家郷に在るにすでに数師の傳授を経て、また少林寺等に赴き深造することもあり。

王 氏を救い出したるは少林寺の住持なり、ゆえに王氏を寺に連れ帰る。教える者は認真たり、学ぶものは努力を惜しまず、王は、六七年の間に少林の絶技をことご とく得たり。しかしすなわち大師兄の手のもとには常に敗れたり。王は山中に練拳の後、正に愁い悶々とするそのとき、蝉の騒ぐ聲を聞く。

見上げるにすなわち一螳螂、その雙爪を舞わせて蝉を捕らえるあり。これに王朗、悟るところあり、螳螂を捕らえて寺中に帰り、毎日草を以って逗し弄ぶ。螳螂を見るに、雙目を怒り見開き、雙爪を舞い振るうに度がある、細心の観察を以ってこれを研究揣摩す。

これに得たる爪法を学びし十八家宗法の内に融入す。また機縁ありて、猿猴の歩みの快捷を見、これも一つに併せて吸収融化する。練習、数年ありて、再び大師兄と角す。大師兄、ただ王朗の敵することをあたわざるに非ず、且つ手を一つ交えるにすなわち投げ倒されるなり。

そ の大師兄、王朗の背師叛道を疑う、住持に報告し、寺僧みなこれに争論す。王朗、住持の盤問の下、はじめて詳らかに螳螂に向かいて勾?採掛等の手法を研習 し、猿猴の靈活な歩法をあわせて拳に致すことを云う。住持は深く喜び、また寺僧たちの嘉許をも得、王に編み出したる技を携え各地を旅し、名家を訪ね切磋す ることを許す。

王は寺を出でた後、豫、皖、冀、魯等の省を遍く訪ね、その武を以って多くの友に会う、どこにおいても王朗に敵しあたう者なし。王朗、最後に[山勞]山に足を落とすと聞く、しかしいまだその終わるところを知らず。

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