崔寿山
(1890~1969年 清王朝光緒十六年~)
◎またの名を崔彭年という。山東莱陽県の人。1905年より武術を習い始め、宋子徳門下に入り梅花螳螂拳を学ぶ。1912年より道場にて教授を始める。
1933年より莱陽国術館にて教練となる。1935年には煙台にて「崔寿山拳房」を開き、1937年郷里に帰り「寿山武館」を開いた。
◎その足跡は胶東各地に及び、学生は多かった。胶東螳螂拳界で、莱陽螳螂拳の三山の一人に数えられた。
◎王元亮師父によれば崔寿山老師は武徳に優れていたという。崔老師自身は10代半ば、脂ののった宋・姜両師の門下で技を磨き、早くから武館を開いた実力からすれば、技術も間違いないものだったのだろう。
香港の黄漢勳老師著書の中で、師の羅光玉老師の逸話が紹介されている。
その内容は、中華民国時代以前だろうが、武館を開く際には大きな蝋燭を道場に立て、その火が消えるまでは誰の挑戦であろうと受けなければならなかったという。もし負けてしまえば、評判は落ち、生徒は集まらなかったのだそうだ。
◎崔老師は手が長かったわりには、力を流し、相手との距離を詰めた短打の技術が得意だったと聞く。
◎それにしてもこの写真は風格がある。左手に持った剣と墨絵らしき背景のマッチングがとても良い。中国武術マニアが泣いて喜びそうな構図だ。
◎崔老師の大きな功績である編纂された「螳螂拳譜上下」の二冊は素晴らしい。自身の研究と思われる内容が多分に盛り込まれており、崔家螳螂拳の名に値する。
プロとしての拳法家らしい老前輩である。しかし、各地に足跡を多く残しながら、その全伝を伝承する現代の拳師の名が聞こえてこないのは、非常に残念であり、また興味深い。