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林景山

(山東莱陽人 1885~1971年)

◎天津赭玉璞管理下で教練をしており、後に煙台にあった范旭東の武術館を継いだ。

林は他の師兄弟と比較しても背が低く、痩せていてとても拳法の名手には見えなかったという。

しかし、体格に差があったが故に、その体の使い方は大変上手く、その拳技は体格の勝る楊維新や羅光玉に全く劣らなかったという。

◎莱陽の出身だが、貧しい家に生まれ、奉公に煙台へ出された。拳法を習いたかったが、入門できるお金が無く、范旭東の道場を盗み見ては、夜中自分で稽古していた。

或る時それが、范旭東にばれてしまうが、その才能を范に認められ、正式に弟子になった。

◎于海の思い出には、いつも黒い洋服を着て、決して奢らない態度の老師であったという。

特に王維新、羅光玉など師兄弟から、精武会への教授要請を断り、范旭東の武術館を守ったのである。

◎林の主な弟子は次の通りである。

胡永福、邵華亭、王春山、林春生、林春法、林春福、牟伝祖、凌華堂、于天堂(于海)、鐘連宝、于天程等。

◎胡永福は大連四傑館、英斌武術社で教授し、その弟子には李会堂(李占元)、李世帥、胡春義(胡永福の子供)、李瑞年、徐洪勳、王清剛等がいる。

李占元は青島台東区で教授し、王清剛は大連金県で教授した。王恵蘭又の名を王小飛は、赭玉璞管理下で林景山と同じく教練をしていた。

彼らは半師半友の関係であり、その伝人には、沈陽の王慶斎がいる。

于天程

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