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李秉霄

◎螳螂拳は誰が創り、どのようにして伝わったのかハッきりしない。王朗の名のみが伝わる。

◎中華民国24年(1935年)に編纂された「莱陽県誌」から読み取れることは、清王朝の乾隆年間(1735-1795)に李秉霄が病に犯された盗賊の命を救い、伝授された拳法であるということだけだ。

この頃はというと、ちょうど諸外国では、フランス革命やら、アメリカの独立宣言の頃であり、日本は江戸時代、杉田玄白の「解体新書」が発行された頃である。 周振東の「煙台螳螂拳史話」によれば、この盗賊は、名を鄧玉徳という。

しかしここでも鄧玉徳が、どのような人物で、どのように拳を学んだのかは明らかでないという。ただ言い伝えによってのみ伝承されているのだという。

◎李秉霄は莱陽の小赤山の人だったという。字を二垢といった。清末から中華民国の初めの赤山とは、海陽県との隣接地区で、姜化龍が生まれた黄金溝のすぐ近くの村であった。当時の莱陽は登州府に属していた。

現在の莱陽市とはかなり領域が異なるであろう。  また、崔寿山のまとめた「螳螂拳譜」の序文には、李秉霄は官吏を目指す学問の志を持っていたが、登用試験に落ちて世俗を絶ち、山の中で放浪していた際に出会った侠客達から螳螂拳を習ったという。

しかし彼らは名を明かすことを好まなかったため、詳しい伝承は分からないという。また「燕来飛渡」という軽功を身に付けていたが、残念ながら弟子の趙珠には伝わらなかった。

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