王玉山
(1892~1976年 清王朝光緒十八年~) 山東莱陽県の人。
◎1902年より外祖父について地功拳を学び、1910年より宋子徳門下に入り梅花螳螂拳を学ぶ。その武功は深く優れており、莱陽螳螂拳の三山の一人に数えられた。
◎1917年より弟子をとり、武芸の教授を始めた。1929年青島国術館第十練習所にて教練となる。
1933年山東国術省考にて優勝した後、莱陽国術館にて教練となる。1940年再び青島に戻り、省立中学、中紡公司等で国術教練を歴任し、中華人民共和国建国後、業余武術活動にて教学を続ける。
その拳の伝承は王元亮、王元乾、呂国堂に受け継がれた。
◎王玉山師爺の伴侶となったのは、宋子徳老師の娘であるという。王師爺の墓地は、莱陽の団旺にあり、弟子達によって建立された。
王元亮師父の持つ「螳螂拳譜」は宋子徳老師が編集されたものだと聞いた。玉山師爺の在りしのこの写真は、師父の家で何度も拝見したが、教えに対しての厳しさを持ちながらも、非常に穏やかな人柄を容易に想像させる。
◎王玉山師爺は、受ける事が困難と言われた「太極手」など剛拳を得意とした。(この技法は「紀効新書」に描かれている「旗鼓勢」ではなかったのかと一人思いにふけっているのであるが。)
それは、摘要拳中にあり、左右上下から中央劈に連絡させる技であり、まさに旗を上下に振りかざす様な技法であり、王元亮師父は父と体格が似ていたからか、この妙手をご自身の得意技として受け継いでいる。
下の写真は莱陽団旺にある王玉山と宋甫玉の墓であり、裏(後面)には弟子と孫弟子の名前が記されている(1993年建立)。
王玉山と宋甫玉の墓(左は前面、右は後面)
下の写真は玉山師爺の次男元亮師父。玉山師爺は次男の元亮と四男の元乾に拳を伝授した。
拳技は元亮師父が優れ、四男は理論に優れているという。 元亮師父は1926年生まれ。今年(2001年)で75歳。