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姜化龍

◎山東莱陽黄金溝の出身で、「莱陽県誌」の中で吉珠は「七省を周り、武芸者を千数百人見てきたが、敬意を払えるのは、山西の鄧某と邑人の姜化龍の二人である」と言っている。

◎姜化龍は、五尺に足らない背丈で、豚のように太っていたと「莱陽県誌」の中では記載されている。師父から聞くところによれば、背丈は大きくなかったようだが、四角い石柱のような体で、足が非常に大きかったという。

歩く姿はまるでよちよちとアヒルのようだったが、その拳芸の動きは鳥のようだったという。

◎姜化龍は、梁学香について拳を学んだが、小さい頃は遊ぶほうが楽しくて、まじめに練習しないばかりでなく、少しばかり高慢な子供であった。梁は姜の武術の才能を高く認めており、彼を奮起させる一計を企てた。

梁は、姜に自分の大弟子へに手紙を持たせた。彼は手紙を見るや姜を打ち据えてしまった。姜化龍は師父の元へ泣きながら帰って一部始終を語った。姜はそれ以来、苦学を重ねて拳芸を会得した。

◎周振東の「煙台螳螂拳史話」によれば、姜は我慢強い性格であったが、好戦的だった為、武館が開いたと聞くと試合を申し込み打ち負かしてしまう。これで恨みを買い、負けた武術師範たちが共謀して、ある時、姜がトイレに入った隙を見て、数人で襲い掛かった。

姜は衣服も整えずこれに応戦し、彼らを蹴散らした。その後村の人徳者の仲立ちにより、姜に謝罪を申し入れ、事なきを得たという。

◎李坤山の叔父である李旦白は、長拳を学んでいたが、その好戦的な性格は、地元の武術家から嫌われていた。というのも、李は技を学ぶと武館へ赴き、人を捕まえてはその技を試した。

そ のため、師からも破門され、各武術館にも破門状がまわり、だれも弟子として李旦白を迎え入れる事がなかったという。李が学んだものは只「群戦無敵」といわ れた「中路翻車」であったが、その技と李の持つ力はすさまじく、まるで一匹の黄竜が地上を駆け巡るかのようであったという。

◎李旦白と姜化龍は試合でぶつかった。二人とも無敗の成績を誇る中の好カードに群集は只見守るだけであったという。李旦白は黄色の服をまとい「黄竜」そのものであり、姜化龍は青色の服をまとった「青蝶」であった。

開始後の戦いは、途切れることの無い技の応酬と手足のぶつかり合う音に、群集は固唾を飲んで見守るばかりであった。姜化龍は、これまで戦ったことのないほどの力量の李に焦りをかんじていた。

姜は右肩に突きをうけ、そのまま7,8歩後へ後退する。体を立て直すまもなく、次の突を打ってきた。その瞬間、李の袖を外に向けて流しながら、「四門吊打」を放った。

◎李はまるで四方八方から打ってこられるようなこの技に慌て、地面に倒れてしまった。ゆっくりと目をあけるとそこには姜化龍の顔があった。それ以来、李旦白と姜化龍は異母兄弟のように、深く交流した。

姜 化龍は螳螂拳の技を教え、李旦白は「中路翻車」を姜に伝授した。姜化龍はそれを螳螂拳の技法に昇華させたという。李旦白は、その後滄州にても試合を重ね相 手をことごとく破ったが、年老いてから過度の試合、鍛錬の結果、難病にかかり、人の手を借りなければ少しも動けないようになってしまったという。

姜は煙台やその他の地区にも武術館を開設して、螳螂拳を教授した。特に気功術にも長けていたと記されている事が多い。

◎拳譜の中には確かに「中路翻車」の項目が存在する。また、玉環腿という型も李旦白との交流で学んだものだとも聞いた。

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