李坤山
(1890~1982年 清王朝光緒十六年~)
◎字を進玉という。山東莱陽県(今の莱西)の人。幼少より叔父の李旦白から三合功を学んだ後、姜化龍より梅花螳螂拳を学び、その真髄を得た。
1930年黄県警察隊隊長を務め、1931年には山東省国術館にて教練となる。1933年旧中国第五回全国運動会にて、刀術で第四位となり、南京国術考では槍術で優勝した。
同年には莱陽で成立した国術館の館長に就任。当時の西北軍の教官となり、山東省西南郷農学校校長を兼任した。1948年台湾へ渡った。
◎莱陽の三大山の内、日本で一番良くその名を知られているのではないだろうか。
中国武術が日本へ紹介され始めた1970年当事は、中国は文革の影響で、伝統武術は一時姿を消し、国交も希薄だったため、台湾からの情報が最も多かったからだ。
◎李老師の叔父、李旦白は、前述のように姜化龍と義兄弟の縁を結んだ人だった為、李坤山を姜化龍の門下へ加えた。
莱陽の三大山の内、宋子徳の門下でないのはこのためだ。従って李坤山老師の拳は他の二人と風格が異なっていたかもしれない。
◎この写真は亡くなる二年前のようだが、とても90歳とは思えない。若い頃は厳しく稽古をつけられたことだろうと想像する。